オレンジ定食

ネチネチ星人のフルコース

そう思えば自分もそうだった

友達の彼女がなんでも恋人である友達の意見に賛成するらしい。というか、意見がないらしい。自分を持ってないらしい。いるよね、そういう人。

 

旅行行く時も、

あなたが行く場所に私も行きたい

みたいな感じで

自分もそこ行きたいから行こうではなく。あなたが見る景色なら自分もみたい。みたいな、恋人のフィルターを通しているんです。っぽいです。

 

いるよね、うんうん、そういう人。

俺もその一人だから凄いよくわかる。

例えば、旅行の時、自分は特に意思を持ちません

昔はどこに行きたいあれしたいとかあったように思えますが、ここ数年になってからは少なくともほぼなくりました。

なので、旅行の時は1人で行く時は特に行先を一つだけ決めるぐらいで、他は決めずに道中のんびりだらだら行ったりします。誰かと行く時はなるべくその人の行きたい所を優先するように努力しています。努力はしていないです。なるべく優先するようにします。

 

その方がスムーズに旅行が行くってのは建前で、実際は、上記の通り、旅行においては特に意思を持たないからです。結果、スムーズに旅行が行くのではないかと思ってます。

それは学生時代、ありがたいことに、行きたい見てみたいと思える所をある程度行けたからかもしれません。マチュピチュとかは行ってみたいかも。遺跡とかは結構気になります。

旅に意思はない、でも、生活には意思がある

その彼女も、そうなのではないでしょうか。分からないけど。こだわりというか、これだけは譲れないみたいなもの、もしくは、その生活の人生の優先順位というか。自分はあります。自分の生活には意思があります。これしたい。あれしたい。ブログもそれです。パン食べたい。不味くても自分で作ったパンが食べたい。納豆も、ラー油とかねぎとかあおのりとかまぜて食いたい。気持ち悪い音楽やポエムだって作りたい。そんなこだわりというには微妙ですが意思があります。

 

人によっては、その意思、というか、興味のベクトルはそれぞれだと思います。最初その友達の話を聞いた時は、なんだかな、と思いましたが、多分、きっと、一つぐらいはなんか拘りみたいなのはあるんじゃないでしょうか。僕はあります。一つぐらいあれば良いんじゃないかと思いました。友達はそうは思わないと思うけど。

 

おっぱい。