先日旅行に行ってきました。
旅行先は広島・岡山でした。原爆ドームや平和記念資料館を見ながら自分は本当にありがたい人生を過ごしてるなあと思いました。
愚痴とか言っていられるだけまし
行った友人が楽しそうに愚痴を言っていたので、「そうか、愚痴りたいから愚痴ってるんだなこれは」とか思いながら話を聞いていました。愚痴辞めた方が良いよなんて酷過ぎると思いますし、楽しみ奪うなんて出来ないし。(楽しくないのに愚痴っていたらすみません友達さん)
話はずれましたが、愚痴っていられる余裕があるってことはそれだけ平和だし。やることがないんだよなあと思いました。自分はあまり愚痴らないように心がけておりますが、そうなるとやることないしで、暇な時間が多いしで、ちょっと憂鬱になると思います。でもそんな時間すら平和なんですよね。戦争とかない時代に生まれて本当に良かった。
なので、幸福度を下げましょう。
自分の今いる場所がそこまで最低でもないと思えるのなら、まずは。幸福度を下げましょう。生きているだけでありがたい。好きな人が生きているだけでありがたい。長澤まさみが生きているだけでありがたい。松本若菜さんが生きているだけでありがたい。寝ることが出来てありがたい。風呂狭いけど熱いお湯で身体を休められてありがたい。雨風しのげる家に住めてありがたい。などなどなどなど。
実際、そんなお金かけなくても幸福を得ることは出来ると思います。
例えば風呂に例えますが、
風呂入らない=幸福でない
風呂入る=幸福(幸福度80)
広い風呂入る=幸福(幸福度85)
広い清潔な風呂入る=幸福(幸福度90)
広い清潔な良い風呂入る=幸福(幸福度95)
みたいな感じでしょうか。お風呂に入れること自体で幸福度は高まると思います。そこから先のオプションは付けてもそんなに飛躍的に上がらないのでは?と思います。
例えばご飯に例えますが、
ご飯毎日食べれない=幸福でない
ご飯毎日食べれる(通常食材での自炊)=幸福(幸福度80)
ご飯毎日食べれる(高級食材での自炊)=幸福(幸福度85)
ご飯毎日食べれる(通常食材での外食)=幸福(幸福度90)
ご飯毎日食べれる(高級食材での外食)=幸福(幸福度95)
風呂もご飯も例えが適当過ぎますね。すみません。。毎日風呂入れなくてもご飯食べれなくても凄く幸福に感じる人はいます、自分が思うのは、出来ないことが出来る時、出来ることがもっと良く出来るよりも幸福度の上がり方は高いのではないかと思うのです。
因みに自分は、
風呂は広い清潔な良いのが良いですが、ご飯に関しては外食よりも自分で自炊する方が好きなのでそっちのが多分幸福度は高い気がします。外食する時は友達と行くことが前提です。但し、人の金で奢って食うご飯と好きな人と食べるご飯は格別です。自炊も外食も関係ないです。
とかく、資本主義はお金出してもらうことに必死です。めちゃくちゃ高級なホテルや旅館や外食屋とかおもちゃとか沢山ありますが、幸福度が飛躍的にあがることは自分はないかなと少し冷めています。悲しいかな。おっぱい。