先日こんなツイートを見ました。
ある人のリスク選好の度合い、つまり株に限らず投資でリスク取れるか取れないかは生まれつきで決まるものと何となく思っていたが、ChatGPTによると「双生児研究ではリスク選好の個人差の30~50%前後が遺伝で説明されるという結果が多い。脳の報酬系(ドーパミン系)や不確実性処理(扁桃体・島皮質など)の反応性にも個人差があり、これが基礎体質になる」とのことで、リスク回避的な性格に生まれてもけっこう後天的に修正できるものらしい。投資なんてこわい、ぜったい元本保証じゃなくちゃイヤです! みたいな人はわたしの周りにもいるけどちゃんと投資のいろはを学べばリスクテイクできるようになるのかもしれない
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個人的には知識の度合いがかなりあると思う。
わかりやすい?例は放射脳は原子力への無知から来るというならわかりやすいかも。
それがなんだかどれだけ危険か明確じゃないので拒否反応が出るのだろうと。
本質は「わからないものは怖い」だと思うところだし理解は恐怖を低減するだとおもう。
まあ怖がるべきものを理解したとして警戒しなくなるのも問題ではあるけんど。
kamomenotoushi.hatenablog.com
僕らはすべてを分かることは出来ない
インターネットが普及したことで、ググりようによっては分からないことが減りました。減ったと思います。自分もネットが普及してなかったら多分、株式投資をしていなかったと思います。それは株式投資がネットで調べることによって危険だけど危険ではないと分かったからです。
それでも分からないことはあります。株に限らず。例えば死んだ後はどうなるのか。とかね。やっかいなのは、死後の世界からやってきた人がいるってことです。まあ、少なくとも自分は死後の世界が分からないです。
分からないならどうすればよい?
当たり前ですけど、無数の分からないに対し、数個の分かるもので対処しなければならない。
分かるものって何だろう
例えば1+1は2であること。もしくは好きな企業の業績が去年30%成長したこと。それかその企業は来年は10%成長予定って四季報に書いてあること。これらは全部知識として分かっていること、その中で揺るがないものと揺らぐものがあると思いました。それは揺らがないものか?つまりは心理や事実か。どちらでもないか、もしくは全く別のものかどうかの確認作業を行う必要があるのかなあとふんわり思いました。
株に関していうと、儲かると分かったものに張ると往々にして詰むらしい
かもめさんの上記ブログだと、儲かると分かったものに対して張ると、間違った時に詰むらしい。ふーん、そんなバカな人いるんですねって感想。
まあ自分のことなんですけどね
自分の場合、下手な成功があったりとかして、それを元にこれも同じようなパターンだ!と分かったつもりになって大きく張って結果バク損したことがあります。てか継続中でバク・ソンしてます。
自分が分かるといったものは本当に確実に来るのか。来ないのか。来る確率は高いのか、その根拠はなどをひとつずつ地味に潰していかないと、株では損をしますよねってことですね。うん、結局は地道な作業が必要だと。めんどくせえ。しかも株の場合は、絶対に知ることのできない情報っていうのもあります。それがインサイダーだったり、うん、あるのよ、多分、あるの。もういいでしょ。
株だけじゃなく、人生においても分かるって思って突き進むと破滅に近い状態になる
分かるの中にも、本当に分かっているものと実は分かっていないものが紛れていること、それを理解したうえで、上手に人生と株式投資と向き合いたいですね♬
分かると分かったものに対しても疑いは持ち続けよう
と、思いました。
怖がるべきものを理解したとして警戒しなくなるのも問題
と引用したtweetの方も言っておられますし。
確証を持ってる人、100%疑いようのないものを持っている人は輝いて見えることが自分にはあります。何かを断言できる人も。でも、世界にはそんな断言できることが少ないのでは?とも思うので。自分は、特に「怖がるべきものを理解したとして警戒」しようと思います。いつも自分に言い聞かせるようにして。うん。
おっぱい。三連休で天井ばかり見ているので久しぶりにブログ書きました。これからパンを焼きます。
「わかる」と「わからない」のその先はあるのか
あるのか。ないのか。それはこれから生きてから答えを見つけようと思います。