オレンジ定食

ネチネチ星人のフルコース

いま、ここ、しあわせ

以下の記事は好きで何度か見返しております。

 

って思ったらおい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

mainennetaro.blog.fc2.com

 

なんとブログが閉鎖されていた。(存在はしているけど管理者パスワードが必要、つまり寝太郎さんしか見れない。)Twitterを見て観ると、

らしい。これもいずれ消えるだろうから。ここにて引用。

ブログが閉鎖中なのはミスではなく意図的なものです。これからどうしようって考えたときに、今まで書いたことに引き摺られたくなかった。本は過去のこととして固定され、ツイッターはどんどん流れていくが、検索してあまり新旧関係なく記事が出てくるブログは特殊な感じがする。しばらくツイッターのみ

だそうです。。昔よく読んでたブログも消えていたりすると、本当悲しくなりますね。まあ、仕方ない。割り切れないけど仕方ない。

いま、ここ、しあわせ

今日は久々、電車を乗った。そして、アジカンムスタングを聴いた。車窓から見える景色が美しかった。美しくて見とれてしまった。

 

そんな時、以前の寝太郎さんの記事を思い出したわけです。幸か不幸か、一部文章は残していたので引用させて下さい。(寝太郎さんお許しを)

しばらくオフラインで生活してみたら、これがまた快適である。

 

誇張無しで言うなら、世界が美しく見える。

 

インターネット的な視点の特徴は、超越性である。超越というのは、物事から一歩退いて俯瞰して見ることである。あらゆる知識や情報、体験を一挙並列に並べて、その前に座って、全てのものがone of them、簡単に超越的な視点を取れる。超越性は、集合知にはもってこいである。

 

しかし、超越性に埋もれてしまうと、実存的な視点や感性は失われる。実存は、乱暴に言うなら、「わたし」が「いま」「ここ」に現に生きていることを出発点とする。「わたし」以外の人、「いま」以外の時、「ここ」以外の場所と比べられることが無い。実存は、「わたし」が「わたし」の人生で出会ってきたもの、出会ってきた場所がすべてである。「わたし」が「わたし」の文脈で美しいと感じたものは、美しい。

 

僕は僕の見ている美しい雑木林が、何の変哲もない平凡な雑木林であることを知っている。僕の小屋から見渡せる雑木林が実存的に言って美しいという事実は、インターネットには似つかわしくない。

寝太郎さんが「僕は僕の見ている美しい雑木林が、何の変哲もない平凡な雑木林である」と言うように自分が美しいと思った景色はネットには似つかわしくないと思ったのだ。(ネットに載せた所でバズりなんてもせず、インスタに載せた所でいいねもこないだろう)

 

ただ、そんな景色が美しいと思ったのと同時に大事にしていきたいと思ったのも事実である。そんな平凡な景色を。

 

今年に入って、戦争が始まって、最近は核爆弾が落とされるかもしれない、なんて物騒な話も上がってる。それでもなお自分はスマホばっかり見てしまう。オンラインは心地良い。便利だ。楽しい。オンラインに慣れるとオフラインが味気なくなる時もある。ただ、オフラインの景色を見た自分は、いま、ここ、しあわせを感じれたと思う。

 

おっぱい。